OCCUPY WALL STREET BY MONEY (日本語)


ウオール街を占拠している皆さんをはじめとする99%の皆さんへ

ファンドを設立されてはいかがですか?

皆さんはウオール街をバリケードや人手で占拠しています。
ウオール街を占拠するのであれば、むしろお金で占拠なさったほうが良いのではありませんか?

アメリカで今なにが起こっているのでしょうか?
エンクロージャーではないでしょうか?

>囲い込み(かこいこみ:enclosure)は細かい土地が相互に入り組んだ混在地制における開放耕地(Open Field)を統合し、所有者を明確にした上で排他的に利用する事。
>歴史上、幾度となく繰り返されてきたプロセスであるが、特にイギリスにおいて16世紀と18世紀の二回行われたものを指す。
>第一次囲い込みは牧羊目的で個人主導で行われたのに対し、第二次囲い込みはノーフォーク農法などの高度集約農業の導入の為に議会主導で行われた。
>かつては囲い込みによって仕事を奪われた農民が労働者となり、産業革命に労働力を供給したとされたが、現在では囲い込みと都市部への人口流入は直接の大きな関係は無かった事が指摘されている。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/囲い込み)
>囲い込み - Wikipedia

エンクロージャーには以下の2つの特徴があります。
(1)労働力移動による産業構造の変化
(2)使い捨てのできる労働力の発生
これはアメリカで今起きていることと同じではないでしょうか?

これはアメリカで今起きているのはエンクロージャーではないでしょうか?

なぜイギリスで過去起こった出来事がアメリカでも起こっているのでしょうか?
私は、エンクロージャーはイギリスだけの出来事ではないと考えています。
私は以下の仮説を持っています。

植民地化とは、グローバルに適用されたエンクロージャーである。

根拠は、アフリカやインドでの植民地化の経過がイギリスにおけるエンクロージャーと似たような特徴を持つためです。

エンクロージャーの特徴
(1)労働力移動による産業構造の変化
(2)使い捨てのできる労働力の創出

(1)労働力移動による産業構造の変化
アフリカ
>困ったことに、自給農民たちはそれほどものを必要とせず、さらに恒常的な服務労働は奴隷労働とかわらないと考え、しかもその種の任務は女の仕事であると考えていた。
>巨大な利潤が手元から逃げていくことに不満を持ったヨーロッパ人は、[アフリカ人側の]このような態度を容赦しなかった。
>「アフリカ人を労働に駆り立てる刺激として、野心と強欲に代わって、恐怖心に訴える必要があった」のである。
>解決の仕方は粗野で、しばしば暴力的なものであった。
>政府の目的を実現するために強制労働がもち込まれ、首長たちが労働者を徴発した。
>若干の地域では、ことに強制労働制度の導入の初期には、人頭税と小屋税が持ち込まれ、その支払いを労働に振り替えることもできた。
>オートボルタのモシ人は、一八九六年にフランスに征服されてから、課税制度が導入されると、当初は、生産と公益の拡大を試みたが、まもなく若者たちはゴールド・コーストでの季節的な賃金労働をさがしはじめた。
>その結果、一九〇六年から一九一〇年までの間に、税金は三倍にはねあがったのである。
(p.693-694/ユネスコ・アフリカの歴史 第7巻 下巻/責任編集宮 下正興/同朋舎出版/ISBN 4-8104-0736-5)

インド
>インドの手工業の没落は、手工業で有名であった町や都市の衰退に反映した。
>伝統的な産業の衰退が、イギリスや西ヨーロッパのように、近代的機会制工業の発展にともなって生じたのではなかったために、悲劇は一層深刻化した。
>その結果、職を失った手工業者、職工は別に働き口をみいだせなかった。
>彼らに残された唯一の選択は、農業に殺到することだった。
>イギリス支配は村落における経済生活のバランスもくずした。
>農村の手工業が徐々に破壊されていくにつれて、農村部に見られた農業と家内産業との結合が断ち切られ、こうして自給自足的な農村経済の崩壊に寄与した。
>余った時間に糸紡ぎや機織りをして生計の足しにしていた何百万もの農民はいまや、全面的に耕作に依存しなければならなくなった。
>その一方で何百万もの農村の職工たちが伝統的な生活の糧を失って農業労働者やわずかな土地を保有する弱小小作人になった。
>そして土地にたいする全般的な人口圧力に拍車をかけたのであった。
(p.185/近代インドの歴史/ビパン・チャンドラ/山川出版社/ISBN4-634-67350-9)

(2)使い捨てのできる労働力の創出
アフリカ
>一九世紀の死亡率はほとんど知られていないが、一九一五年に、サン・トーメとプリンシペ島のイギリス人領事は、その地の契約労働者のなかでは、一〇〇〇人当たり一〇〇人の死亡率があると主張した。
>一方これと同じ比率が一九二二年のブラザビルから海岸までの鉄道の強制労働においても算出されている。
>後者の場合の比率は、第一次大戦前のカメルーン鉄道敷設の際の、一〇〇〇人当たり一五〇人という比率と対照的である。
(p.695/ユネスコ・アフリカの歴史 第7巻 下巻/責任編集宮 下正興/同朋舎出版/ISBN 4-8104-0736-5)

インド
>イギリスのインド支配、および彼らの経済政策の最終的結果を特徴づけるのはあ、インド民衆のあいだに蔓延した極端な貧困であった。
>民衆の貧困は、十九世紀後半にインド全土を席巻した一連の飢饉で頂点に達した。
>最初の飢饉は一八六〇〜六一年にかけて連合州西部で起こり、二〇万人以上の人命が失われた。
>一八六五〜六六年にはオリッサ、ベンガル、ビハール、マドラスを飢饉が襲い、約二〇〇万人が犠牲となった。
>オリッサだけでも一〇〇万人が命を落とした。
>一八八六〜七〇年の飢饉は、連合州西部、ボンベイ、パンジャーブで一四〇万人以上の命を奪った。
>このときに被害を受けたラージブータナーの多くの藩王国では、人口の四分の一から三分の一が失われた。
おそらくインド史上最悪の飢饉が、一八七六〜七八年にかけてマドラス、マイソール、ハイダラバード、マハーラーシュトラ、連合集西部、パンジャーブに起こった。
>マハーラーシュトラでは八〇万人、マドラスでは約三五〇万人が命を落とした。
>マイソールでは人口の二〇パーセントが失われ、連合州では一二〇万人以上が犠牲になった。
>干ばつは一八九六〜九七年の全国的な飢饉を引き起こし、九五〇〇万人以上が影響を受け、そのうち四五〇万人近くが死亡した。
>すぐに一八九九〜一九〇〇年の飢饉が追い打ちをかけ、惨状は広範におよんだ。
>飢饉救済にかんする規定による人命保護につとめた当局の努力もむなしく、二五〇万人以上が命を落とした。
>こうした大飢饉のほかに、地域的な飢饉や食糧不足頻発した。
>イギリス人ジャーナリスト、ウィリアム・ディグビは、一八五四年から一九〇一年のあいだに起きた飢饉で、あわせて二八八万五〇〇〇人が死亡したと推計した。
>一九四三年の飢饉はベンガルで約三〇〇万の人命を奪った。
>これらの飢饉とそれにともなう多数の人命の喪失は、貧困と飢餓がインドにいかに深く根をおろしていたかを示唆する。
(p.197-p.198/近代インドの歴史/ビパン・チャンドラ/山川出版社/ISBN4-634-67350-9)

以上の事例を鑑みると、例えば、富裕層への所得税や相続税を減税または維持しつつ、その一方で消費税を増税することはエンクロージャーとして効果的といえるかもしれない。

植民地化とは、グローバルに適用されたエンクロージャーではないでしょうか?

このことから、今アメリカで起こっていることがわかるのではないでしょうか?すなわち、

アメリカは植民地化されようとしている。

どこの国がアメリカを植民地化しようとしているのでしょうか?
という疑問が湧くかも知れなません。

では、あなたに一つ質問をしたいと思います。
植民地化に国は必要でしょうか?

思い出してください。
インドは東インド会社という民間企業によって植民地化されました。
植民地化に国は必要無いのです。

ところで植民地主義とはなんでしょうか?
私は以下の仮説を持っています。

植民地主義とは一種の封建主義である。

封建主義の衰退と同時に生じた資本主義の勃興により、農民の自立性が暴力的になしくずしにされ、賃労働を求める以外に生存の手段を持たない労働者階級が創出された。
(p.496/ユネスコ・アフリカの歴史 第7巻 上巻/責任編集 宮下正興/同朋舎出版/ISBN 4-8104-0736-5)

これは勘違いではないでしょうか?
>ジェントルマンによるジェントルマンでない人々(民衆)の支配という構造は、十九世紀中ごろ、産業革命が完成していわゆる産業資本家層が勢力を伸ばした時期にも、本質的には変化しなかった。
>ただ、このころになると経済構造の変化のために、資産の主要な形態が土地よりは証券類となった。
>ジェントルマンの主体は、地主から証券保有者に、つまりシティに転換していくのである。このように地主から証券保有者へと受け継がれた資産家としての経済活動を、「ジェントルマン資本主義」と呼ぶ。
>こうしたシティの金融活動は、ランカシャやミドランズの製造工業よりは、海外‐とくに外国政府や海外企業‐を対象としたから、ジェントルマン支配の構造は、容易に帝国主義と結びつくものであった。
(p.014/新版 世界各国史 11 イギリス史/編者 河北稔/山川出版社/ISBN 4-636-41410-4)

封建主義は衰退したのではないのではないか?変化したのではないでしょうか?
土地を基盤とした封建主義 から
証券類を基盤とした封建主義 に。
そして、企業の株主は、現代の封建領主なのではないでしょうか?

証券封建主義
植民地主義とは、証券を基盤とした封建主義のことなのではないでしょうか?

そう考えると、植民地主義時代や帝国主義時代の状況が理解しやすいのではないでしょうか?
植民地主義時代や帝国主義時代は、証券封建領主たちが縄張り争いをしていた時代なのではないでしょうか?

封建主義とは何か?
封建制度とは、生殺与奪権を握る者が握られた者に対して片務的な服従を強いる利権を仲立とした主従関係を言います。

資本関係は主従関係を構築します。
株主は企業に対して生殺与奪権を握ります。
企業は一種の封建体制といえます。

1%
"1%"の富裕層たちは企業の株主や経営者たちです。
"1%"の富裕層たちは一種の封建領主といってよいのではないでしょうか。
そして、植民地主義時代や帝国主義時代と同じ状況が起こっているのではないでしょうか。

さて、
封建領主と戦うためにはどうすればよいか?
武器を持たなくてはならない。
封建領主と戦える武器とは何か?
封建領主が支配のために利用している武器と同じものです。そう。

お金です。

武器というものは諸刃の剣です。
使用する者が変われば、矛先が逆に向くこともありえます。
つまり、
99%が、お金を利用して、攻撃の矛先を、1%による支配体制に向けるのです。

ただ、1%と違い、99%の持つお金の力は取るに足りない。
1%と戦うためには99%のもつお金の力を結集する必要がある。そこで

ファンド

ファンドはお金を集めて投資を行う。
1%と同じことを99%が力をあわせて行うのです。
私はこのファンドを以下のように名づけてみました。

NPF
National Political Fund
国民政治ファンド

お金という1%が使う武器と同じ武器を逆手にとって99%が1%にパワーゲームを仕掛ける。
これがこのファンドの機能です。
いかがでしょうか?

ウオール街を占拠している皆さんをはじめとする99%の皆さんへ

ファンドを設立されてはいかがですか?

Studies in Methodology for Tribalism
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7659/smt.html

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